【ブランディング成功事例】ルイヴィトンのブランディング~ルイ・ヴィトンのトランク誕生~

ルイヴィトンのブランドはどのように今のような地位を築いてきたのか、もし同じように自社にも取り入れるとしたら、何から始めたら良いのか?実際に歴史を遡り分析してみました。

この記事で得られること

・今がんばっているのに、思ったような成長曲線を描けない

・行動量に対して、成果(売上)が伴わない

・ルイヴィトンがどのように認知を拡大していったのかを知りたい

実際に調べてみて、取り入れられる方法もいくつかありました。その過程を5つのステップに分けて解説しているので1番から順を追って取り入れてみてください。

目次

ルイヴィトンに至るまでを分析

①大好きなことをして学び、スキル身につける

「大好きなこと」がより熱量高く取り組むことができます。好きなことと嫌いなことを学んだり、身につけるための時間の違いは容易にイメージができるはずです。

理由はシンプルに好きだから。何かに取り組む上でそれ以上の理由はいりません。

②その道を極める

家柄が製材所だったことが彼の人生には大きく影響しています。ただ全てを極めることは基本的には不可能。ルイヴィトンの場合は、高価な衣裳を入れるための木箱を設計し、組み立てること。特に木の選別と仕上げに携わり腕を磨きました。

③人を大切にして繋がりを作る

関係性を作ってもすぐに効果はないかもしれません。

もしかすふと仕事に繋がるかもしれないし、協力し合えるかもしれないし、紹介を頂けるかもしれない。

そのために高いコミュニケーション能力があれば最高だけど、最低限関係性を作れる能力はどんな人でも持ち合わせているはずです。

④お客様の期待に応え、信用を構築する。

③にも関わって来ますが、繋がりから仕事の依頼は来ます。(もちろん自社で営業を行って獲得できるのであればなお良い)特にこの「繋がり」から来る依頼は大きな可能性を秘めています。

ルイヴィトンは人の繋がりから信用を積み重ね、その先に当時の皇后様という大きな信頼を得ました。これはどんなに新規開拓をしてもたどり着けるものではありません。

人の繋がりや紹介での依頼は、人様の信用を借りることとイコールになるので、全力で喜んで頂けるように関わっていきたいところです。(他のお客様と比べるのはおかしな話かもしれないが)

⑤リアル(実際に利用するお客さん)を大切にして、時代の先を読み、必要とされる新たなモノをつくる。

ルイヴィトンは室内で積み上げることができる「平らなトランク」を考えたり、軽くて丈夫であり、かつトレーや仕切りまで設置され、使いやすさをとことん追求したものもセレブの方々に一躍評判になりました。

常にお客様の声に耳を傾けます。より良いものを作るため、改善するため、新しいものを作るためのヒントは必ずお客様が持っています。自分達が良いと思うもの以上に、実際に利用しているお客様の方がリアルな生きた情報を持っているのです。

ルイヴィトンストーリー

1821年2月2日。製材所(山から伐採した木を、丸太を板にしたり輪切りにしたり、建築部物の柱にしたり、鴨井や敷居(日本建築には使われています)などの製品にするところ)を経営していた家庭の三男としてルイ・ヴィトンは生まれる。

10歳で5人目の子供を産んで母親が亡くなる。翌年、父親が再婚。義母に仕事を押し付けられたり、強く当たったりされ辛い時期を過ごす。

14歳でパリに行くため家出。人に雇ってもらいながら(今で言うと日雇いのバイトのような)、馬屋番、食堂ボーイになり旅を続ける。1番の喜びは唯一精通している木の仕事。雑木林を間伐する人を探していると聞けば、パリまで遠回りでも出かけていった。お陰で木の種類を覚え、樫、桜、ぶな、くましで、ポプラ、栗といった木々の利用法を学んだ。この生活を1年以上続けパリに到着。

オペラ座に近いところで、レイティエ・アンバルール(荷造り用木箱製造職人兼荷造り職人)のマレシャル氏のもとで見習いとして働き始める。

2人は高価な衣裳を入れるためにポプラ製の木箱を設計し組み立てる。ルイはすぐにこの仕事の熟練した腕を持つようになる。ルイが木と取り組み、高級なドレスや帽子を取り扱い10年。休むことなく入念に選んだ木を削ぎ鉋をかけ、仕上げをする作業を継続して来た。

当時のフランスでは貴族の間で「クリノン」と呼ばれる張鋼で広げたスカートが流行になる。貴族達が旅行する際にはこれらの衣装を収納する専門家が必要になっていた。そしてそれらを収納し持ち運ぶための木箱が必要不可欠となり、木箱の製造と荷造りの専門家が登場し始めていた。

30歳になるとルイはフランス随一の「荷造り木箱製造職人兼荷造り職人」になった。

実際彼は有名な仕立屋に頼まれて、出入りの難しいアトリエへ行き、世界に君臨するフランス・オートクチュールの豪華な衣裳の箱詰めに従事している。

1852年、ナポレオン3世が即位。1853年1月にナポレオン3世とウジェニー・ド・モンティジョが結婚すると、舞踏会やレセプション、旅行が頻繁に行われるようになったため、名だたる荷造り用木箱製造兼荷造り業者のところに注文が殺到。特にマレシャル氏とルイは皇后ユージェニーの命で、エリゼ宮へ定期的に足を運ぶ。皇后はもともと華麗な衣裳の梱包を自ら指図していましたが、やがてルイだけにこの仕事を任せるようになる。

1854年34歳になりエミリー・クレマンス・パリオーと結婚。自分の仕事を愛していた。有名な仕立屋とも、注文のうるさい客とも知り合い、彼らもルイの腕前を認めていた。そして年老いた師のマレシャルは引退を考える。

今が店を構えるときだと決断し、世界最初の旅行鞄のアトリエ 「ルイヴィトン」を設立。

開店して数日後、ルイは自作のトランクを発表。このとき防水性のあるグレー地の「グリ・トリアノン・キャンバス」を発表、その布地を用いたトランクを生み出し、「ルイヴィトン・マルティエ(ルイ・ヴィトン・トランク製造職人)」としての歴史の第一歩を踏み出す。

1854年、時代の先を予測し交通機関の発達に注目する。馬車旅行が主流だったこの時代、これからは船や機関車での移動が増えると読み、それまでの馬車の後ろに積んだとき、雨が垂れるよう丸みを帯びた「蓋の丸いトランク」から、室内で積み上げることができる「平らなトランク」を考え出した。

素材も、革よりも軽い防水加工のグレーの布「グリ・トリアノン」を張って作ったトランクなど、旅を原点にし考案した商品は貴族から高い評価を得る。 当時の一般的なトランクに比べ、ルイ・ヴィトンのトランクは軽くて丈夫。さらに、トレーや仕切りまで設置され、使いやすさをとことん追求したもの。こうして「ルイ・ヴィトンのトランク」が誕生すると、当時のセレブたちの間で一躍評判になる。

まとめ

今も昔も考え方は変わらないのではないでしょうか。常に大切にするべきなのは人であり「お客様が何を感じているのか」に耳を傾けて、成長する。逆にこれ以外にできることはありません。

実際に使う道具(WEBやSNS、プラットフォーム、AIなどの最新技術)は時代に合わせて変化するけど、考え方は同じです。

つねに「誰のどんな問題を解決するのか」を忘れずに、一歩ずつ前進していきましょう。

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